最近感じるのは「好奇心」というものが、人間のモチベーションの本来の原動力ではないかということである。今年ノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎氏も「好奇心」という言葉を繰り返し述べていたのが印象的だった。
自分の周りを見渡してみても、好奇心を持った人間はセルフ・モチベーションを持っている者が多い。つまり人から言われからではなく、自発的に動いている。私は社員に「モチベーションは人に与えられてやるのではなく、一番重要なのはセルフ・モチベーションだ」といつも言っていた。しかし、これが社員にはなかなか理解できないようだった。社員はお前がいるからやる気がでないとか、給料が安いからやるきがでないとか常に他者のせいにする傾向がある。そして転職して、また同じ問題を繰り返すのである。この心理を若い時は理解できなかったが、今ではよくわかる。他人のせいにする方が心の平安は保たれるのだ。
私は前を向いて頑張り続ける人が好きだし、自分もそのタイプだと思う。しかし、皆がそんなタイプではないということも理解できる。これまでは彼らのためだと思い、もっと頑張ってと尻をたたいてきたような気もする。でもよく考えてみると、皆が上昇志向なら社会は回らない。生活の基盤となっているコンビニの店員、ゴミの収集員、老人のオムツを変えたり、風呂に入れたりする介護の仕事などこの世の中は上昇志向とは別の意識で働いている人も多く、それで社会は成り立っている。成長志向の人間は彼らにとってはうざい存在だろう。これもバランスだと思う。聞いた話では隣の韓国では学歴偏重と上昇志向が強く、中小企業に勤める人が減ってきて困っているという。
そういう上昇志向から少し離れたところで、社員を一切教育せず、管理職を置かず、週休3日にし、フレックスにし、給料は他社よりも高いという企業も出現している。そういう企業は、最初からそういう業務設計をして、人によってではなく、仕組みによって企業を成長させていくというのだ。やる気のない疲れた人を採用し、やる気のある成長志向の人を超えていくというのだ。本来はこれをマネージメントというのだろう。優秀な人を集めてやろうというマネジメントと、普通の人や仕事にくたびれ果てた人を使って業績と個人の幸福をさぐっていこうというマネジメントとがある。これからはマネジメントの多様性の時代になっていくかもしれない。人口減少時代には、時代背景から上昇志向を持って、厳しさの中で働いてきた高齢者の発想から、一人一人の幸福を基本に据えて働くこれからの世代の発想への転換が始まるのかもしれない。